清水菅原神社
植木町清水甲区の「御手洗さん」には、昔から伝えられている伝説があります。
神功皇后が熊襲征伐へ行く途中、この地に行啓になり八神殿を祭り、戦捷を祈願されます。
その行啓の道筋は、高瀬(現玉名)から9艘の船菊池川を遡り千田聖母八幡宮(祀神神功皇后)の元へ船をつなぎ(現在船つなぎの石が残っている)そこから川上の方へ皇后は歩いて進まれ、【湖水】に対して「此処までが水の原だな───」と言われたので、その部落の名前は水原となりました。
また、水の元はどこだろうかと、弓矢を放たれ、このとき弓を結ばれた所が「結」と地名がなりました。
川上に向かい矢が刺さった所が「御手洗さん」です。
矢の方へ進むと、長い沼があり地名が「長沼」となり、さらに進むと「小さな出水があるな───」と言われ「小清水」の地名となり、さらに、矢の方向へ進まれ、放たれた矢が刺さっていた湧水で手を洗われ、身を清められたことから、「御手洗」と命名し、御手洗さんとして地域住民から親しまれています。
この場所には湧水で池が出来ており、この池は神功皇后の右足を形取り、池の中央には石で四角に積み上げられた2メートル四方の中島があります。その中に「霊竹」といわれる竹が自生しています。
この竹は、明治37・38年の日露戦争の時、必勝祈願の御幣竹を土に埋めたところ、その御幣竹から根が出て芽が吹き今も生き続けています。
千田川の源流は、矢が刺さったところから湧き出した湧水「御手洗さん」であることから(矢の根川)とゆう説もあります。
御手洗さんと、千田聖母八幡宮等々は、深いつながりがあると感じられます。
尚、今でも「御手洗さん」は住民の飲料水や憩いの場として地域住民から慕われています。